表ソフト時代に目指したのは「江加良+劉国梁

天王寺高校卓球部で、打球点の早いピッチ打法(右打ち左押し)と3球目攻撃を叩き込まれた私のスタイルで目指したのは、まず、1985年と1987年の世界チャンピオン、中国の江加良のような卓球でした。その後、少しづつドライブを取り入れ、少しづつ裏面打ちを取り入れ、かっこよく言えば、「劉国梁もプラスした」スタイルでした。

1970年には裏面打ちにチャレンジしていた! しかし、・・・

裏面打ちについて言えば、1970年に裏面打ちを試みていたので、「裏面打ちで世界チャンピオンになった劉国梁の生まれる前にやっていた」と自慢していました。すると、口の悪い国立環境研究所卓球部同僚のH山さん曰く、「残念だったねー。世界チャンピオンになっていたら名前が残っていたのに。残念だったねー。」(2度も言うな!)。1990年代には本格的に(?)裏面打ちを始めていました。ただ、早く始めた割には上達のスピードは遅く、バトミントンが得意なW辺さんの後陣からの強烈な裏面打ちを見とれていました。今も2-3年前に裏面打ちを始めた平沼クラブのM本さんに「基本練習をもっとやらなきゃ」と言われるレベルにとどまっています。ときどき、意外性による得点は稼いでいますが。タメ、腕のしなりとコントロールが課題です。

表ソフト時代(~2014年春)に愛用したラケット、ラバー

様々なラケットやラバーを試していました。バタフライのKORBELL中ペンも気に入っていました。中ペンは廃版になっていると思いますが、5枚合板で攻守のバランスの良いラケットでした。ただ、私のプレースタイルに対して「おとなしい」ラケットという感覚がありました。結局、一番長く使っていたラケットは、JOOLA Linusの中国式ペンでした。国際卓球のT橋さんに薦められ使ってみると、offensiveでもなくコントロール系なのにボールが飛んでいきます。返ってきません。板が固いのです。ミズノのブースターSA特厚を貼ると、ミート打ちだけでなく、ドライブやカウンタードライブまでできます。本当に相性が抜群で、私には珍しくラケットもラバーも長い間固定していました。裏面もブースターSA特厚でした。ブースターSAの後継、ブースターJPの評判も良いようです。JOOLA Linusの中国式ペンは廃版になっても特注で作ってもらい、4枚持っていた程でした。2枚は友人にあげて、手元に2枚残っています。この2枚を再び使うことはないと、ペン粒になったときには思っていました。

表ソフト時代の余談:サーブで2本取り、レシーブで2本取られるゲーム

両面表ソフト時代は、「サーブで2本取り、レシーブで2本取られる。サーブミスをしたらそのゲームは負け」という卓球をしていました。レシーブでせめて1点とれないと本当に厳しいのですが、この時代に一番思い出に残っている試合は、武蔵野市市民体育大会での加藤功二さんとの試合でした。すごい投げ上げサーブが来るのでレシーブでは点が取れないのです。私のサーブ3球目も決まっていたので(これは加藤さんの腰痛のおかげ!)、本当に「サーブで2本取り、レシーブで2本取られる。」ゲームになりましたが、「腰を痛めているので棄権します。私は娘についてきているので、試合はまあ、いいんです」とおっしゃいました。「卓球は試合やらなきゃ面白くないのに、娘さんについてきているだけだからなんて変な人だなあ」と思ったことを覚えています。直ぐ後で、当時小学校低学年で参加して大活躍していた加藤美優さんのお父さんだと分かり納得したものでした。サーブがすごいはずだ!

ペン粒転向のきっかけ(2014年春)

2012年4月に高知に引っ越して2年ほどは同じような卓球を続けていて、限界を感じていました。とにかく、レシーブが下手過ぎるのです。そこに「六十肩」が襲ってきました。治りかけたと思ったら、スキーで転んで腕が上がらなくなりました。「あまり腕が上がらないままでも卓球をしたい、ペン粒に変えたら出来るのではないか。レシーブもやり易くなるし」という動機ときっかけでペン粒に転向しましたが、結果は吉と出ました。

by へん粒