私のnoteへの投稿、「Windows11のWSL2環境でCUDA、cuDNNインストールからTensorflow実行までの手順(2024年11月実績版)」を呼んだ友人からメールを頂きました。「この記事とは直接関係ないのですが、『外的要請と内的要請』ということを考えます」という、なかなか重いコメントです。趣旨は、降りかかってくる課題に対応すること(それらはとても大切で意義のあることですが)に時間を取られて、前々から深めたいと思っているテーマに取り組む時間がなかなかとれない、ということでした。とてもよく分かります。

私は、「あのnoteの記事は内的要請というよりも、外的要請があって取り組んだようなものです」という趣旨を、少々漫画チックに返信しました。何と不真面目な私。

しかし、「外的要請」と「内的要請」って、なかなかそう簡単に分けられないよなあ、と考え始めました。私にとって「内的要請」ってなんだろう?今一番やりたいこと?卓球かなあ、でも、他のこといっぱいしているし、これって外的要請?頭を使うことを楽しみたい、けれど、悪知恵じゃなく、笑顔を見て自分も笑顔になることに頭を使いたい、楽しいコミュニケーションが欲しい。これって外的要請?いや、これこそ多分私の内的要請じゃないかと。

外的要請って、SDGsだろうか?世界の人々が幸せに暮らせること?もっと長期的にはジョンレノンが描いた「イマジン」の世界だろうか?私にとっての内的要請はこのような「外的要請に見えること」に向かう持続的にできる小さなことであって欲しい。そういう意味で、ウェルビーイングであって欲しい。このような形で、内的要請と外的要請が実はつながっている、と思いたいのです。